最期に思うこと

ジョージ・ガーガナス

1992年7月4日

 

 約1週間ほど前、医師は、私が急性白血病のため、長くても後2週間の命であることを宣告しました。今や死は現実のものとなり、私は真正面から向き合わなければならなくなりました。この事実について考えた時、私には唯一の選択しかないということが分かりました。それは、残された日々を完全に神様に従って生き続けるという選択でした。神様の御心とそのタイミングは完璧で、神様の意志は私の意志であり、神様の御心は私の願いです。神様の御心は実現します。

 時が迫っていますので、私の大好きな聖句を3つと私が76年間築いてきた確信を、皆さんに分かち合いたいと思います。これによって皆さんが力づけられることを望みます。

 

1.神の国と神の義をまず第一に求めなさい。(マタイ6:33)

 

 私たちは、神様の御国と神様の義を第一に求めるべきであり、そうすれば、他のものは神様によって全て整えられます。

 神様は私たちに、神様と、そして神様の御国と関係を築くことを望んでいらっしゃいます。神様は、この2つの関係を最優先することを求めていらっしゃるのです。私たちが神様と御国を第一にするのなら、神様は必ず他の全てのことについても面倒を見てくださいます。イエスは弟子たちに祈りを教えられた時、この概念を授けられました。御国が来ますように。御心が行なわれますように。天のごとく地の上にも(マタイ6:10)。神様の世に対する願いは、全ての人が神様を愛し、また互いに愛し合うことです。

 神様の御国と教会が同じ意味であることを、私たちは知っています。なかには、「今まで生きていて、最優先にできるような教会に出会ったことがない」という人もいます。しかし、神様が私たちに望んでいらっしゃることが、熱心なイエスの弟子同士の関係であるという事実に変わりはありません。神様は、私たちに両方(神様と御国)の関係を築いてほしいのです。

 キリストの教会は、神様と教会を常に第一にする弟子によって成り立つべきです。イエスは、どのようにしたら弟子になるかを明かに教えてくださいました。弟子は、神様を礼拝し、また真の弟子同士の交わりを持たなければなりません。もし、そのような弟子同士の関係がない場で生活しているのなら、状況を変えなければなりません。自らが引越しをするか、周りにいる人々を神様へと導いて新しく御国を築くか、どちらかをしなければなりません。真の弟子と直接に交わりを持つことが神様の言われている教会の意味なのです。

 信仰によって生きる人、神様と神様の家族たちと心を合わせて生きる人が神様の子供です。これらの関係は、私たちの信仰が成長し、神様の期待通りの人となるための力を与えてくれます。

 

2.覚えていなさい。あなたに働いているのは神様の力です。

 

 わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、教会により、またキリスト・イエスによって栄光が世々限りなくありますように。アーメン。(エフェソ3:20-21)

 

 自分の人生に働いている神様の力を信じている人は無敵です。不可能なことに取り組んでいくことを恐れません。何によっても、誰によっても、打ち負かされることはありません。羊飼いの少年ダビデは、ユダヤの丘で羊の番をしながら、そのような神様との関係を築きました。ダビデの詩篇には、神様との純粋な関係が現れています。ダビデが第一に願っていたことは、神様の聖霊を失いたくないということでした。

 

 御前から私を退けず、あなたの聖なる霊を取り上げないでください。(詩篇51:11)

 

 ダビデは少年でしたが、このような信仰によって力づけられ、臆することなく巨人ゴリアテの挑戦を受けて立ちました。ダビデは神様の力への信仰のゆえにゴリアテを倒すことができました。

 ダビデの目には巨人は存在せず、ただ神様の敵だけがそこにいました。神様の敵は打ち倒されます。神様は御自分の民、つまり教会にすべての国の人々を弟子にするよう、お命じになりました。神様が教会を通して働いており、聖霊が支配していることを信じる人によってのみ、これは成し遂げられます。

 

3.全てのことが益となるように共に働く(ローマ8:28)

 

 神様の聖徒を打ち負かすためのサタンの効果的なやり口は2つあります。それは「落ち込ませる誘惑」と「否定的に考えさせる誘惑」です。つまり不信仰です。神様は、私たちが悲劇や失望を体験しなくて済むように守ってくれると約束してくださったわけではありません。イエスは、岩の上に建てた家も、砂の上に建てた家も、どちらも嵐や困難に遭うと言われました。私たちは振りかかる不幸を、神様(あるいは他の人や環境)のせいにしたがる傾向があります。私たちは物事が上手くいき「祝福を感じる」時にだけ神様(そして兄弟姉妹)を愛したい、と思ってしまいがちです。

 私たちは次のことを覚えなければなりません。全てのこと――死さえも私たちの益になるように神様は働くということです。困難な時に神様に背を向けてしまうのなら、私たちの信仰は決して成長することはありません。ローマ8章に示されているように、この信仰は私たちに喜びの人生を歩む力を与えてくれます。その喜びは、今から永遠に私たちが耐え忍ぶための助けとなります。

 

 これら3つの聖句は、私の人生の中で最も大きな力の源となってきました。

 私は神様にまみえる準備をし、また主がその時の訪れを早めてくださるよう祈りながら、兄弟パウロの言葉を心から繰り返すことができます。

 

 わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走り通し、信仰を守り抜きました。今や義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかしわたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には誰にでも授けてくださいます。

(Uテモテ4:6-8)

 

 私の人生は長く満たされ、主に献げられるものとされてきました。私が皆さんのために祈ることは、皆さんもこの道を歩む時、死の影が迫る時、これらの言葉を語ることができ、恐れをいだかないように、ということです。自分を完全に献げることが、私たちが神様から求められていることの全てです。神様が皆さんに道を示され、力を与えてくださるでしょう。